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福岡高等裁判所那覇支部 平成2年(ネ)152号 判決

平成二年(ネ)第一二八号事件控訴人・同第一五二号事件被控訴人

三原共有者組合

右代表者組合長

仲大盛秀夫

右訴訟代理人弁護士

根本孔衛

新里恵二

平成二年(ネ)第一五二号事件控訴人亡山川信吉訴訟承継人

山川ヨシ

平成二年(ネ)第一五二号事件控訴人

西原茂夫

平成二年(ネ)第一二八号事件被控訴人

大盛文雄

前盛次郎

仲山忠篤

前盛泰夫

右六名訴訟代理人弁護士

木梨吉茂

中島敬行

主文

一  平成二年(ネ)第一二八号事件控訴人及び同第一五二号事件控訴人らの各控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用のうち、平成二年(ネ)第一二八号事件にかかるものは同事件控訴人の、同第一五二号事件にかかるものは同事件控訴人らの各負担とする。

事実及び理由

(略称 以下においては、平成二年(ネ)第一二八号事件控訴人を「一審被告」と、同事件被控訴人ら及び同第一五二号事件控訴人西原を「一審原告」と、亡山川信吉を「亡信吉」と、亡信吉承継人を「一審原告承継人山川」とそれぞれいう。)

第一当事者の求めた裁判

一一審被告

1  原判決中、一審被告敗訴の部分を取り消す。

2  一審原告大盛文雄、同前盛次郎、同仲山忠篤及び同前盛泰夫(以下「一審原告大盛ら四名」という。)の各請求をいずれも棄却する。

3  一審原告承継人山川及び一審原告西原茂夫(以下「一審原告西原ら二名」という。)の控訴を棄却する。

二一審原告西原ら二名

1  原判決中、一審原告西原ら二名敗訴の部分を取り消す。

2  一審被告は、一審原告西原ら二名が、原判決別紙物件目録記載の土地(以下「本件入会地」という。)に対して、入会集団である一審被告の構成員として、共有の性質を有する入会権(持分権)を有することを確認する。

三  一審原告大盛ら四名

一審被告の控訴を棄却する。

第二事案の概要

一本件は、一審原告らが、本件入会地を管理する一審被告に対し、本件入会地につき一審原告らが入会権(持分権)を有することの確認を求めた事案である。

二当事者間に争いのない事実

1  明治三六年に人頭税制度が廃止され、地租条例が実施されたことに伴い、国有林野の村有地への払下げが行われ、これに関連して真栄里部落にも、その字有地、部落共同所有財産として、本件入会地が確保され、以後、本件入会地は、真栄里部落に居住し生活する住民に、総有的に帰属し、部落民により構成される入会集団の下で共同の管理利用がなされてきた。

2(一)  一審原告大盛、同前盛次郎は、少なくとも終戦後まもなくして真栄里部落会の役員を歴任し、昭和三九年に部落会が事実上真栄里公民館に移行された後も、公民館長等の要職に就いて、本件入会地の維持管理に多大の貢献をし、同五二年一月に真栄里入会組合が結成された後も、両名ともに、真栄里部落に継続的に居住し、入会集団構成員として認められ、その義務を果たし、本件入会地の利用にあずかってきた入会権者である。

(二)  亡信吉は、妻の一審原告承継人山川が真栄里部落の出身で縁故があったところから、昭和四三年より定住の意思を持って真栄里部落に移り住んだ。以後、公民館に所属し、部落の行事にも参加し、同四七、四八年には老人会の会長を務めるなどした。

(三)  一審原告西原は、昭和三八年から定住の意思を持って真栄里部落に転入し、以後、公民館の建設作業、部落の行事等に参加し、公民館の特別会計、産業部長などの役員も務め、道路の拡張作業等の出役や義務も負担してきた。

3  一審被告は、本件入会権を民法上の共有へ移行させることを前提に、新たに共有者六〇名により本件入会地を各共有者の単独所有にすることを目的として昭和六〇年一二月二二日に設立された団体である。

三争点

1  本案前の主張について

(一) 一審被告

一審被告は、六〇名の共有持分権者が共有物の分割が終わるまでの間、組合という名称を使用して人的結合をなしたものであり、もともと民法上の組合ではなく、権利能力なき社団に該当しないから、当事者能力を欠く。

また、一審原告大盛ら四名は、一審被告の構成員であり、本件は、一審被告組合員四名と残りの組合員五六名との争いであるから、一審原告大盛ら四名は、右五六名を相手として訴えを提起すべきであり、一審被告に本件訴訟の被告適格はない。

(二) 一審原告ら

一審被告は、共有者六〇名により本件入会地を管理し、最終的には、これを単独所有に切り替えるために結成された団体であり、三原共有者組合規約により、組合の目的、組合員資格、組合員の権利義務、組合の機関、総会、理事会、組合長等の役員の職務及び権限、組合の財政等について規定されており、民訴法四六条の社団に該当し、当事者能力を有する。

また、一審被告は、真栄里入会組合とその組織、実体において同一であり、本件入会地を管理支配する代表者の定めのある入会集団であり、本件訴訟について被告適格を有する。

2  本案について

(一) 本件入会権が消滅しているか否か

一審被告は、この点につき、本件入会地が民法上の共有地に変わり、入会団体の構成員として入会支分権を持っていた者が共有持分権者となり、入会団体が共有持分権者の結合体になったか否かが争点であり、本件入会権の消滅は争点ではないと主張するが、入会権がその内容、性格を異にする共有権となることは、入会権が消滅して、新たな共有権が生じることに帰するので、以下、この意味で本件入会権が消滅しているか否かを争点として判断する。

(1) 一審被告

本件入会権の管理処分を行っていた真栄里入会組合の昭和六〇年三月一六日の臨時総会において、入会権消滅決議(以下「本件消滅決議」ともいう。)がなされ、これにより本件入会権は民法上の共有権に変わった。当時、本件入会権については、既に毛上の利用が消滅して、地盤の所有権のみが存続しているにすぎなかったから、本件消滅決議は、本件入会地を組合員の共有にすること及びその組合員の範囲を確認することを内容とするだけで有効に成立したものである。その際、真栄里入会組合執行部から新規組合員の持分を旧来の組合員の二分の一とする旨の提案がなされたが、細工利夫の反対意見により、右持分を平等にすることが決定された事実は、各組合員が共有持分に関心を持っていたことを推認させ、本件入会権の消滅を前提にしなければ理解できないことである。

本件消滅決議につき入会権回復の期待権を有する者を観念してその権利主張の機会を与えるということは、本来入会権が前近代的性格を持つものであるので、その観念自体失当であり、また、真栄里部落の実情をみても期待権の成立する余地がなかった。したがって、この点から瑕疵があるとはいえない。

仮に本件消滅決議に瑕疵があったとしても、次のような事情からしてその追認が成立している。すなわち、本件消滅決議後、本件入会地について、代表者三名による共有登記から組合員六〇名全員による共有登記への変更がなされており、一審原告大盛ら四名を含む組合員六〇名は、この登記手続に応じることにより、本件入会権が消滅して本件入会地が六〇名の共有になったことを承認したものであり、また、昭和六〇年一二月二二日には、一審被告の設立総会が開催され、本件入会権が消滅して本件入会地が六〇名の共有になっていることを前提として、今後本件入会地を各共有者の単独所有に移行させるために分筆を行うなどの目的の下に一審被告が設立され、その趣旨の三原共有者組合規約も承認された。以上によると、組合員六〇名全員が本件消滅決議を承認し、本件入会地を六〇名の共有にするとの入会財産の処分に関する取決めもなされているから、本件消滅決議の追認が成立したというべきである。

これを敷衍すると、入会権消滅の議論は、真栄里入会組合幹部間で昭和五九年から継続的に行われてきたところであり、その議論の内容は、血縁と婚姻で縦横に結ばれている真栄里部落内に直ちに伝播したうえ、入会権消滅の必要性は、毛上利用の廃止、共同体的結合の弛緩が目立ってきた当時の部落の生活実態から誰でも容易に理解できたことであったから、本件消滅決議に出席していた者のみならず、これに欠席していた者も、入会権消滅の法的意味を十分に認識したうえで、その後の共有登記の変更手続に応じ、一審被告を設立し、三原共有者組合規約を承認したものである。しかも、右共有登記変更手続は、本件入会地のうち公民館敷地のみを除いてなされたものであり、名義のみを変更するのであればこれが除外された理由が説明できず、そのことは、本件入会地が共有とされたことを十分に認識して共有登記変更手続がなされたことを推認させるし、同五二年一月の真栄里入会組合の設立後、本件消滅決議までの間、その組合員外から何らの要求もなかったにもかかわらず、一審被告設立後は、組合員外から組合員資格の見直しが強く要求されるようになった事実は、まさに組合員外においてすら、本件入会権が消滅して組合員による共有になったことを十分に認識していたことを物語る。

また、入会権消滅の際に必要な入会財産の処分に関する取決めについても、本件入会地のうち、既に賃貸している部分については、賃貸人が入会団体から共有権者に変わるだけで賃貸借契約の内容には変化がないのであるから、特段の取決めを必要とせず、既受領の賃料等については、本件消滅決議当時の帳簿記載から明らかであり、当面の賃貸地の管理費用及び将来の共有地分割の費用に充てることが予定され、それ以外の使途はその後の集まりで相談されることが予定されていたのであるから、それ以上の取決めを必要としなかった。そして、一審被告の設立及び三原共有者組合規約の承認によって、共有地分割に向けての態勢が作られたのであり、これをもって入会財産の処分方法が定められ、組合員によって追認されたとみるのが相当である。

一審原告大盛ら四名は、一審被告の設立及び三原共有者組合規約の承認の時点まで本件入会権の消滅につき何らの異議も述べていなかったものであるが、その後、本件入会地の一部が沖縄電力株式会社(以下「沖縄電力」という。)に売却される話が具体化し、その売買価格が坪当たり四万円、合計約一二億円とされるに至って、従前の態度を翻し、一審被告に対し組合員資格の見直しなどを要求し、結局本訴を提起したものであり、その真意は、自分の子らを組合員と認めてもらい、その配分金にあずかろうとすることにある。

(2) 一審原告ら

本件入会権は、真栄里入会組合設立後も従前に引き続き、同規約の下、強い集団的統制がなされて存続していたものであり、これを解体消滅させるという入会権者全員の同意及び入会財産の処分に関する取決めがない限り消滅することはない。そして、入会権者の同意は、総有から共有に変わることが本件入会地にどのような変化をもたらすかを認識したうえでなされなければならない。また、入会財産の処分に関する取決めは、さしあたり組合員全員による共有にする場合であっても、入会権の消滅によって従来の用益権能は廃止され、共有持分譲渡が自由となり、分割請求も可能となるのであるから、その後の具体的利用関係や財産の帰属についての具体的計画が決定されなければならない。入会財産の処分とは、一〇〇年以上も継続し多数で共同の管理支配に服させてきた土地や財産の分割であって、数人で共同購入した共有地の分割とは意味が異なるのであり、入会権消滅後の利用や財産の帰属関係を明確にしないまま、入会権を決議によって消滅させるなどということは絶対にあり得ない。

本件消滅決議は、その決議内容等に照らし、本件入会権の消滅を決議したものかどうか疑いがあるが、仮にこれが肯定されるとしても、その招集通知は臨時総会開催の二日前になされ、かつ、その旨が明記されていないものであり、また、六〇名の組合員のうち出席した者は四一名にすぎず、反対意見に対する組合員相互間での議論も十分になされないまま議決されたものであり、本件入会地を組合員の共有にすることが議決されたものの、出席者らがそれによって本件入会地にいかなる変化がもたらされるかについて認識していたとは認め難く、しかも、入会財産の処分に関する取決めが一切行われなかったものであるから、重大な瑕疵があり、入会権消滅決議として有効とはいえない。

更に、入会権を決議により消滅させる場合には、帰村者等の入会権の回復の期待権を有する者に権利主張の機会を与えなければならない。真栄里部落では、入会権者は明治三六年以来同部落に一戸を構える本家である世帯主により構成されているほか、分家した者、相当期間部落外に出てその後帰村した者、外からの移住者であっても、部落民としての義務を果たし部落の仲間として承認された者も入会権者として認められるという慣習があった。本件消滅決議に際し、右期待権者に権利主張の機会を与えなかったので、この点からみても重大な瑕疵がある。

また、その後において、本件消滅決議の追認がなされたと認めることもできない。すなわち、組合員六〇名全員による共有登記については、本件入会地の一部が公共用地として買収される際には代表者三名によるものよりも組合員全員によるものの方が税務対策上有利と聞かされていて、登記名義上の共有権者になるにすぎないとの認識に基づきなされたものであって、実体上の権利の変動すなわち入会権の消滅があったとの認識を欠いており、このことは、実体上の変動がないのに登記名義の変更をする際に使用される「真正な登記名義の回復」が登記原因とされていることからも肯定される。そして、その後に承認された三原共有者組合規約は、実質的には入会慣習により形成されてきた法律関係をそのまま継続することを内容とするものであり、同時に設立された一審被告の法的地位も、入会集団としての真栄里入会組合と基本的には全く変わっていなかったから、その設立及び規約の承認をもって入会権消滅に対する組合員全員の同意及び入会財産の処分に関する取決めがあったということはできず、本件消滅決議の追認を認める余地はない。

一審原告大盛ら四名が本訴を提起したのは、本件入会地は先祖伝来の入会地であるから、真栄里の入会集団の構成員には等しく活用されるべきであり、瑕疵ある本件消滅決議により、同じ入会集団の構成員を不当に排除若しくは差別すべきではなく、また、本件入会地が無原則に細分化されたり、大企業によって買い占められたりすることなく、本件入会地を守るべきであると考えたためである。

(二) 一審原告仲山及び同前盛泰夫は入会組合員として選任されたか否か

(1) 一審原告ら

右両名は、昭和六〇年三月一六日の真栄里入会組合臨時総会において、入会組合員として新規加入が認められ、入会権者となった。

(2) 一審被告

右両名は、真栄里入会組合が右同日の臨時総会で本件入会地をその構成員であった者の共有地に変え、その結合内容を入会団体から共有持分権者の共有地管理のための結合体に変える際に、その変更承諾を条件に共有者の一員であると認められたにすぎず、入会組合員として選任されたものでない。

(三) 亡信吉及び一審原告西原の入会権(持分権)の有無について

(1) 一審原告西原ら

入会集団としての真栄里部落においては、少なくとも昭和四七年ころまでは、入会権者となる要件について、定住の意思を持って村入りをして一戸を構え、部落民としての務めを果たし、周囲から部落仲間として承認される必要があり、かつ、これで足りるとする慣習が存在していた。石垣島においては明治三五年まで人頭税が課されていたが、転入者もこの重税を納めるためには入会地の利用をせざるを得ず、転入者といえども、右のような要件を満たせば入会権者となっていたものであり、その後、それ以外の取決めがなされた事実はない。昭和五二年一月に作成された真栄里入会組合規約三条の組合員の資格に関する規定は、右のような慣習を無視し、山梨県の忍草入会組合の規約を真似たものにすぎないから、これによって亡信吉及び一審原告西原が入会権を有するかどうかが決まるものではない。

右のような入会慣習によると、亡信吉及び一審原告西原ともに、戦後に真栄里部落に移住してきたものとはいえ、永住の意思を持って長らく居住し、本件入会地を利用し、公民館の役員を務め、部落の共同作業に従事し、本件入会地にある真栄里部落の共同墓地に墓を建立しているのであるから、真栄里入会組合規約作成時までには入会権を取得していたものというべきである。

なお、亡信吉は、平成三年一月一七日死亡した。その相続人には、妻である一審原告承継人山川と長女武子がいる。長女は他家に嫁しているので、亡信吉の入会権は一審原告承継人山川が相続した。

(2) 一審被告

真栄里部落において入会権者となるためには、もともと、長年居住することのみでは足りず、構成員としての義務を果たし、他の構成員から入会仲間として承認されることが必要であったところ、昭和五二年当時、本件入会地の毛上の利用はなくなり、本件入会権の実質的内容が地盤所有権となっていたことから、入会集団は保全義務負担を伴わない受益団体と化し、移住者がその構成員となれるかどうかは、恩恵的な権利付与として、旧来の構成員の裁量的意思によって左右されるようになっていたのであり、真栄里入会組合規約三条も、それを反映して、移住者が組合員となるためには組合総会の承認を必要とすると規定した。

亡信吉は、昭和四三年に居住して以後は本件入会地を全く利用せず、一審原告西原は、一時牛馬の繋留に使用したことがあっても、いわば恩恵的に認められていたにすぎない。そして、両名ともに、旧来の構成員とは生活の本拠、態様等が異なっていたことから、真栄里入会組合設立の際、組合員の範囲の審議において問題とされることが全くなく、亡信吉及び一審原告西原においても、これを認めて何ら異議を述べることがなかったものであり、いずれにしても、他の構成員から入会仲間としての承認を得られなかったことは明らかであるから入会権者ではない。

第三本案前の主張に対する判断

原判決の理由欄の「一 本案前の抗弁について」(原判決五枚目裏九行目から六枚目裏二行目まで)に記載のとおりである。

第四本案についての判断

一本件入会権の消滅について

1  事実経過について

〈書証番号略〉、原審証人山田善照、同武内信雄、同新里恵二、同大盛文之、同中尾英俊、原審における一審原告大盛文雄本人及び同仲山忠篤本人、当審における一審被告代表者、両事件併合後の当審証人細工利夫並びに弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一) 真栄里部落は、かつては小字屋敷の六六区画内に居住する者たちにより構成され、戦前はおおむね六〇世帯で推移していた。終戦後一時的に外地その他からの引揚者らによって住民が増加したが、そのうち右住民らが他所に移転して人口が減少し、昭和三七年には六三世帯となった。その後同四九年ころまでは、世帯数はゆるやかに増加したものの、人口は横ばいないし減少を示していたところ、同五〇年ころから世帯数、人口ともに急増し、同五九年には三七五世帯、一〇七九人となり、平成四年現在、約六〇〇世帯、約一八〇〇人であり、うち専業農家が五世帯、兼業農家が一〇世帯である。

真栄里部落民は、戦前から、本件入会地において、採草、牛馬の放牧、繋留、用材及び薪炭材の採取、造林等の入会稼ぎをし、共同で本件入会地の管理利用を継続してきたが、本件入会地は、岩盤が多く、土壤も劣悪であるところから、耕作には適さず、牛、馬、水牛を繋留し、肉牛、繁殖牛、山羊、豚等の飼育、飼料の採取に利用されてきた。牛の繋留地としての利用は、牧草の成育がよくないので、立木に牛を繋ぎ、その付近の草を喰べさせるという方法によっており、かつては繋留料を部落に納めなければならなかったが、昭和四五年ころ以降、真栄里部落にかなりの借地料収入が上がるようになったため無償となった。現在においても、牛の繋留地としての利用はわずかながら行われている。

(二) 現在、本件入会地の半分ほどは入会団体から第三者に賃貸されている。主たる借地契約の相手方である沖縄日誠総業株式会社は、ホテル経営等の観光開発事業を営んでおり、右借地上にもゴルフ場等の観光レジャー施設を建設し、その事業に当たっているほか、本件入会地上には、借地契約に基づき、八重山ブロック工場、警察官宿舎、八重山商工高校等の施設もあり、これらの契約利用地からの借地料収入は、昭和五二年一月二〇日に真栄里入会組合が設立されるまでは、部落会すなわち真栄里公民館予算の特別会計に組み入れられ、部落内道路の整備、下水溝の改修、公民館活動その他住民生活全体に必要な共益費等に充当されてきた。

(三) 真栄里部落においては、入会権者としての資格は、慣習に基づき、入会集団の意思により入会集団の構成員であると認められることによって取得され、入会集団から離脱することによって喪失したのであり、本件入会地に対し入会権(持分権)を有する者は、明治以来真栄里に一戸を構える本家の世帯主のほか、分家した者、相当期間部落外に出てその後帰来した者にとどまらず、外からの移住者であっても、後記三2のような要件を満たせば入会権者として認められてきた。

なお、中尾英俊西南学院大学教授らは、農林省の依頼による沖縄の入会地の調査の一環として、昭和四七年一二月一九日、真栄里公民館において、本件入会地について、二、三時間の聞取りを中心とする実施調査を行ったが、入会慣習について明文化された規約等は見出せず、県や市の職員によって集められた真栄里部落の住民たちは、入会という言葉については不分明であったものの、移住者であっても、永住の意思を持って真栄里部落に一戸を構え、部落の義務を果たし、継続して三か月以上居住した者は、入会権者となる趣旨の言動をしていた。

(四) 真栄里部落には、古くから、部落住民によって組織される部落会が設置され、一定の規約のもとに活動を重ねてきたが、大正六年には総代制がしかれ、部落会を統括する総代、評議会員らを役員として部落会が運営されるようになり、その後、昭和四年から同一三年までその役員が会長、副会長、評議員、幹事らとなり、同一四年から総代、副総代が会長、副会長と重複しながら出現し、同一七年から部落会長が筆頭に出てくるようになった。そして、同一九年から総代は消え、部落会長、副会長、総務部長を中心とする構成となるが、同二四年から会長と総代とが併存し、同二九年から会長、副会長で安定するようになった。

本件入会地の賃料収入を取り扱う特別会計は、昭和三六年から始まったが、同五二年に真栄里入会組合に対し本件入会地に関する会計処理が引き継がれることにより終了した。

真栄里部落の最高議決機関としては、部落総会があり、ここでは役員の選出、予算、決算の承認、入会地の利用方法の決定、各種部落行事の決定等の重要事項が審議され、処理されてきた。

昭和三九年、真栄里公民館が設立され、従来の部落会は公民館に吸収され、以後公民館が、本来の地区住民のための社会教育活動のほかに、本件入会地の管理、処分をめぐる諸問題の処理に当たることになり、これまで部落会を統括していた部落会長、副会長は公民館長、副館長となり、十数名の役員が選出され、執行部を構成し、公民館は旧来の部落会をそのまま引き継いだ。

なお、原判決別紙物件目録四四及び四五記載の各土地は、真栄里公民館の敷地に当てられているが、公民館建設の際、真栄里部落が他から購入して取得したものである。

(五) 旧来からの部落民である部落幹部は、外部からの移住者の増加に伴い、その影響を排除し部落民のみで本件入会地を保全管理する方法について議論をしてきたが、昭和五一年一一月一九日、真栄里公民館第一四回審議会に新里恵二弁護士を招き、その方法について講習を受けた。同弁護士は、公民館とは別の入会組合の結成及び入会組合規約の作成が必要である旨助言し、規約の作成については、同弁護士が以前に関与した山梨県の忍草入会組合規約を参考として提示した。その際、真栄里部落の慣習については地元民から事情を聴取した程度で十分に知らないので、その慣習に応じて修正する必要がある旨を付言した。

そして、同年一二月二日、「真栄里共有財産の入会組合結成準備委員会」委員糸洲精安名義で、公民館の幹部及び歴代館長らを中心とした特定の人たちに対し、「仮称真栄里入会組合結成準備委員会」の招集通知がなされ、同月七日、真栄里公民館第一五回審議会において右委員会が発足した。委員会は、現審議委員、歴代公民館長その他二一名の構成員から成り、委員長には山田善照、副委員長には仲大盛秀夫が選ばれた。委員会は、前記新里弁護士より提示された組合規約の素案をたたき台として、本件入会権の慣習について話し合い、本件入会地の権利者となる者とならない者との線引きについて検討し、昭和五二年一月八日ころ、真栄里入会組合準備委員長名で、同組合総会結成総会の開催通知を五〇名ほどの者に限定して出した。同月二〇日、右結成総会が開催され、真栄里入会組合が設立され、真栄里入会組合規約が承認された。右組合規約は、組合員資格について左記のとおり定めた(三条)。これは、農業専従者に限定する部分を削除したほかは、忍草入会組合規約と酷似するものであったが、一部の者から後に改正になった「親が分家した場合」を考慮していないとして異論が述べられたほかは、本件入会権の慣習に合致するものとして承認された。そして、その付則中で、組合員を従来よりの字民(世帯主)の五〇名に限定した(その後、昭和五三年ころ、同規約三条二項1(二)号に関し、それとは別個に、親が分家した場合にも一定の要件の下に組合員資格を取得する規定が設けられ、同五七年ころには転入者の要件に関する同(五)号が削除され、以後転入者を組合員と認める余地がなくなった。)。

「この組合員たる資格は、次の字民(世帯主)に限られる。

一  明治時代より継続して字民、またはその分家で現に字民たるもの。

二1  次に掲げるものは、それぞれ総代会または組合総会の議決によって、組合員たる資格を取得することができる。

(一) 従前廃絶家の理由により、字民たる資格を喪失した字民の血縁者にして、その家を再興したと総代会で認められたもの。

(二) 将来右1の世帯の構成員中から分家した字民(世帯主)は組合長に届け出ることで組合員の資格を取得することが出来る。

(三) 従前の字民にして、他字他市町村に転出後、十年以内の期間に字に復帰し、総代会において承認せられたもの。

(四) 従前字民にして、他字他市町村に転出後、十年以上の期間を経過して、字へ復帰し、組合総会において承認せられたもの。

(五) 他字他市町村からの転入者にして、字に定住し、かつ組合総会において承認せられたもの。

2  前五号にもとづく総代会または組合総会の承認が得られず、加入が否決されたときにも、その不承認の議決に対しては、何も異議を申し立てることができない。」

真栄里入会組合の結成に際し、それまで公民館員として認められ、定住の意思をもって戦後相当期間部落に居住して、世帯主であった亡信吉、一審原告西原らについては、権利者の資格の検討の段階で全く問題とされず、右開催通知も発せられなかった。

右入会組合規約は、制定後本件入会権の消滅が論議されるまでの約七年間、前記二点の修正を経たほかは、特段の異議を唱える者もなくすぎた。

(六) 真栄里入会組合は、結成後、入会集団として、本件入会地の管理処分を行うこととなり、昭和五二年二月一〇日、公民館長から入会組合長への入会財産の引継ぎが行われ、資産台帳、固定資産の図面、各賃貸借契約書、権利証及び現金(一般会計一六三万円余、特別会計三九六万円余)を受け継ぎ、本件入会地を管理してきた。

その後昭和五九年初めころに至り、組合総代会等において、石垣市の発展による本件入会地の価格上昇に伴い、将来公共用地として売却したときの譲渡所得に対する節税のために本件入会地の登記名義人を入会組合員全員にする必要が論じられ、その過程で改めて組合員を最終的に確定すべきとの意見が出て、再び新里恵二弁護士を招いて助言を受けることとなった。その意見に沿って、同年一月二九日の総代会において、同年の事業計画の一つとして、本件入会地の保全管理につき新里弁護士を招へいして勉強会を開催することを決め、同年二月四日の定期総会において同旨の決議がなされたが、同年中にはその実施に至らず、昭和六〇年一月二〇日の総代会において、同年の事業計画の一つとして、本件入会地の保全管理につき弁護士、税理士を招へいして勉強会を開催することを決め、同月二六日の定期総会において同旨の決議がなされた。それを受けて、同年二月二三日の総代会において、新里、仲山忠克弁護士、仲本税理士を招き、入会組合側から総代会のメンバー等合計一二名が出席して勉強会を開き、借地料と税金との関係から法人組織とするか、バイパス用地としての売却に伴う税務対策が必要か、本件入会地につき現在の代表者三人の登記名義を組合員全員の登記名義にするか、現在の組合員五一名の名義で登記するかといった点が話し合われた。続いて、同年三月九日、組合拡大総代会を開催し、新里弁護士を招き、入会組合側から先輩格として一審原告大盛文雄外五名、総代八名が出席して更に勉強会を開くとともに、具体的に権利者となる者の範囲を確定する作業を行った。その際、出席した部落民の間でも、誰が入会権者であるかは必ずしも明らかではなく、むしろ誰を入会権者と認めるかという観点から議論がなされ、新里弁護士からは、一人認めると際限がなくなってしまうという政策的な配慮から権利者の範囲を限定した方がよいとの助言がなされた。しかし、本件入会地の保全管理の方法に関する右総代会での勉強の結果を踏まえた入会組合員及び入会意思を表明している者全員を対象とした説明会が開催されるなどの周知徹底の方法が講じられたことはなかった。

そして、同月一四日、真栄里入会組合執行部は、右のような検討結果に基づき、臨時総会の招集を通知し、同月一六日午後八時、真栄里公民館において臨時総会が開催された。臨時総会においては、議題として、本件入会地につき入会権(総有)を消滅させ、これを共有に変更すること、今後共有物分割により各筆の土地を単独所有にしていくことについての運営方針を承認すること、新規加入者についての報告と承認、今後新規加入者を認めないための規約の改正等が提案され、これまでの五一名の組合員のほかに、仲大盛吉幸の組合員資格が回復され、新規加入者として山田恵昌、加賀本實、前盛弘次、浦浜善久、山田修、山田正信、一審原告前盛泰夫、同仲山の八名が承認され、また、同日限りで組合員の加入を打ち切り、入会権者を六〇名に限り、本件入会地を右六〇名の共有とし、委任の終了を登記原因として六〇名の共有登記手続をすることの提案がなされ、一審原告大盛の代わりに出席していたその長男の大盛文之らの反対意見はあったが、総会出席者の多数の起立賛成によって、他に異議が述べられることなく、承認の決議がなされた。右六〇名のうち、臨時総会出席者は四一名、委任状による者が七名で、従前からの入会権者のうちの三名及び新たに入会権者と認められた者九名の合計一二名は欠席していたが、右決議後、これらの者から入会権の消滅について個別に同意を得る措置はとられなかった。

右臨時総会の決議当時、本件入会地は、以前に比べて格段に少なくなったとはいえなお原野部分が牛馬の繋留に利用されており、その余は賃貸され、それによる収入が年間一〇〇〇万円を超え、そのうち三〇〇万円程度が公民館に対する援助金として支出され、組合員に対しても配当金(年間四万円)が支給され、前記のとおり二筆の土地が公民館敷地として利用されていた。真栄里入会組合は、入会集団として、右のような状況にある本件入会地の管理処分を行い、本件入会地の他に約二五〇〇万円の預金を持つなどしていたものであるが、臨時総会においては、将来本件入会地を各共有者に分筆するとの運営方針を決めた以外に入会財産の処分等に関する取決めはなされなかった。

なお、右臨時総会において、当初、組合執行部から新規加入者の共有持分は旧組合員の二分の一とする案が提出されたが、組合員細工利夫から平等にすべきとの意見が出て、これが受け容れられた。その数日後、一審原告仲山は、ビールを持って右細工方を訪ね、同人の意見により同等に扱われることになったことについて謝意を述べた。

(七) 昭和六〇年七月ころ、沖縄電力から真栄里入会組合に対し、本件入会地の一部約三万坪を火力発電所用地として使用したい旨の申入れがあり、同入会組合としては、同会社に対する賃貸又は売却を検討することとなり、売却した場合の譲渡所得税について、公共用地として提供することから共有者一人当たり三〇〇〇万円の控除額があることなどが考慮された。

その後、後記公民館敷地等を除く本件入会地について、入会組合員六〇名の共有登記にするための書類作成が行われ、同年一〇月二八日を中心にその前後の日に、真正な登記名義の回復を原因とする六〇名の共有登記がなされた。右登記手続に際しては、各組合員又はその家族に真栄里公民館まで印鑑を持参させ、係員の指示によって押印させ、必要な書類を作成準備して司法書士に委任する方法がとられたにすぎない。

なお、公民館敷地及び原判決別紙物件目録四六ないし四九記載の各土地は、六〇名の組合員による共有登記に変更されることなく、従前のとおり代表者三名の共有登記のままとされた。

(八) そして、真栄里入会組合執行部は、前記臨時総会において、従来の入会組合は共有名義を有する権利者たちの新組合に脱皮し、本件入会権は消滅したものとして、新組合の設立の準備を進めた。昭和六〇年一一月二二日、前日の総代会を経て、真栄里入会組合年末総会が開かれ、委任状による者を含めて五七名が出席し、当日配付された三原共有者組合規約案が審議され、出席者全員の賛成の下、共有者六〇名だけで本件入会地を管理し、最終的に本件入会地を分筆し単独所有に切り替えるために一審被告が設立され、新たに三原共有者組合規約が承認された。そして、組合長には、真栄里入会組合長である武内信雄が選出され、副組合長、理事らの役員も真栄里入会組合と実質的にはほぼ同一で(形式的にみれば、真栄里入会組合では総代七名、組合長及び副組合長各一名、監査役二名となっていたが、一審被告では理事九名、組合長及び副組合長は理事により互選し、監査役は二名とし、更に幹事二名を新設するというものである。)、その組合の主体である構成員も従来の入会権者らにより構成され、その管理所有する不動産も本件入会地であった。そして、三原共有者組合規約及び同付則によると、一審被告は従前の真栄里入会組合の権利義務を共有の性質に反しない限りそのまま承継するとされ、本件入会地の所有形態については、民法上の共有ではあるが、持分の譲渡禁止、五年間の分割請求の禁止等が定められ、当面、本件入会地を分割するまで、従前の総有の場合と同様の方法でこれを保全することが規定された。また、右年末総会においては、沖縄電力に本件入会地の一部を売却すること、その交渉については理事会に一任することが決定された。

しかしながら、わずかながら続いている本件入会地上の牛の繋留のための使用をどうするのか、一審被告に承継された賃貸料収入や預金等を誰にどのように帰属させるのかといったことについては、何らの報告もなされなかった。また、右年末総会には三名の組合員が欠席していたが、その後、組合執行部から右欠席者に対し一審被告の設立及び三原共有者組合規約の承認等に関する経過の説明がなされた形跡はない。

なお、真栄里入会組合設立以後、本件入会地による収入は、税金、公民館への援助等のほか、組合員個人に対する年額四万円の配当金に充てられていたが、一審被告設立後は、右組合員個人に対する配当金が年額七万円に増額された。

(九) その後、一審被告の理事会により沖縄電力に対する本件入会地の一部の売却についての交渉が進められていたところ、昭和六一年一月一六日、真栄里部落出身で他の部落に居住する東盛稔らは、一審被告の武内組合長を訪ね、同人ら七名連名の要請書を提出し、自分たちも組合員にすべきである旨要求し、同月二六日には一審被告理事会に臨席し、強く組合員として認めるべきことを要求し、その後、「真栄里の将来を考える有志の会」(以下「有志会」という。)を結成し、各組合員に対し要請書を送付し、組合員の資格の見直しを要求するなどした。

これを契機に、一審原告大盛ら四名も、真栄里部落の融和を重視する立場から有志会に同調した行動をとるようになり、同年二月二〇日に開催された一審被告理事会による説明会において、沖縄電力に売却する土地以外の土地についてまで六〇名の共有にする必要があったのかといった疑問を提起し、同年三月九日の年始総会においては、組合員の資格の見直しを迫り、同月二二日の同理事会で沖縄電力への売買の価格について審議された際には、沖縄電力への売買はそのまま認めるとしても、それ以外の土地については、組合員資格を見直して、以前の総有に戻すことを検討すべきであるとの意見を述べた。その後、沖縄電力への売買については、価格の交渉がまとまり、国土利用計画法に基づく届出をしなければならなくなったが、一審原告大盛ら四名は従前どおりの意見を述べて右届出に協力しなかったため、一審原告大盛ら四名及び有志会と同理事会との話合いが更に重ねられ、同年七月二八日には沖縄電力役員らの出席を得て意見を聴取したりするうち、同理事会側から沖縄電力への売買予定地外の土地については総有に戻すことを検討する方向が打ち出されたりしたことがあったものの、同年九月一日の話合いにおいて、同理事会側から本件入会地を総有に戻すことはできず、ただ沖縄電力に対する売却代金の一部を真栄里公民館に対する援助及び組合員外に対する謝礼金として支出するのが限度であるとの最終的結論が示され、一審原告大盛ら四名及び有志会のいっそうの反発を招くに至って、前記届出がなされないことになり、結局、沖縄電力は用地取得を断念するに至った。

その後、一審原告大盛の提案により、新里恵二弁護士、中尾英俊教授ら法律専門家を招いて、本件消滅決議の有効性等についての意見を聞きながら一審被告理事会側と一審原告大盛ら四名及び有志会との話合いが持たれたりしたが、双方間の対立は解けず、結局、昭和六二年四月一七日一審原告大盛ら四名が入会権(持分権)の確認を求めて提訴し、同年一一月一六日には亡信吉及び一審原告西原が同様のことを求めて提訴した。

2  以上の認定事実に基づき、本件入会権が消滅しているか否かについて検討を進める。

(一) 昭和六〇年三月一六日の本件消滅決議について

昭和六〇年三月一六日に真栄里入会組合の臨時総会において本件消滅決議がなされた当時、本件入会地は、入会集団としての真栄里入会組合の管理下にあり、その原野部分はわずかながらもなお牛の繋留のために利用され、その余の部分は第三者へ賃貸され、その収入は同組合のものとなり、部落全体のために使用され、一部が各組合員に配当されるなどしていたものであるから、総有的な利用が継続されており、入会権が存続していたことは明らかである。

したがって、この入会権を部落の決議により消滅させ、特定の者による共有の形態に移行させるためには、まず第一に、入会権者全員の同意が必要であり、しかも、その同意は、入会権の消滅についての法的な意味、すなわち、他に特別の決議がない限り、民法上の共有になれば、その持分は家の物ではなく、戸主名義人の個人資産となり、同じ家で部落のために労力を提供してきた者には全く帰属しないこと、その収益を部落のために提供する義務は消滅し、入会地からの収益を持分の割合に応じて個人で取得できるから、部落のために提供しない者が現れても、これを拘束できないこと、保存行為を除き、入会地の利用は過半数の同意がないとできないことになること、持分権を自由に譲渡できるようになり、その結果、過半数の者が譲渡し、譲受人らが管理方法について異なる決議をすれば入会地の現況は大きく変化すること、共有者の一人が現物分割を主張すれば、これに対応しなければならなくなること、その後の共有者組合に加入するか否かは全く個人の自由であることなど共有と総有との基本的な違いについて十分に理解したうえでなされなければならず、第二には、その後の入会地の利用その他入会財産の処分等について取決めがなされることが必要というべきである。

これを昭和六〇年三月一六日の本件消滅決議についてみると、仮にこれが本件入会権の消滅を決議したものであったとしても、同日の臨時総会に出席したのは、委任状による者を含めても四八名であり、旧来の組合員三名、当日の決議により新たに組合員と認められた者九名(一審原告仲山及び同前盛泰夫がこれに該当することは後記認定のとおりである。)、以上合計一二名の者は欠席していたのであり、後日、この一二名について、個別に本件入会権の消滅に関する説明がなされてその同意を得た事実もないから、既にこの点において本件消滅決議には重大な瑕疵があるといわなければならない。

次に、本件消滅決議に賛成した出席者の意思の内容についてみると、真栄里入会組合執行部から、外形的には本件入会権が消滅して本件入会地は組合員全員の共有となり、今後分筆して組合員が各土地を単独所有するようにしていくとの説明がなされたことが認められるけれども、入会権を消滅させ組合員の共有に移行させなければならない実質的な理由や総有と共有との法的な相違について説明がなされた形跡はなく、もともと本件の提案は、主として石垣市の発展により高騰化しつつあった本件入会地を公共用地として売却したときの節税を図る必要からなされたものであって、実体的に入会権を消滅させて組合員の共有にすることよりも、本件入会地の登記名義人を代表者三名から組合員六〇名全員に変更すること及び組合員の範囲を最終的に確定すること自体に重点があったものと推認されるのであり、これらの事情に照らすと、少なくとも組合執行部以外の一般組合員において入会権が消滅し組合員全員の共有に移行することの法的意味を十分に認識していたとは認め難い。なお、本件消滅決議の数日後、一審原告仲山が細工利夫に対し、同人の意見によって新規組合員の持分が旧来の組合員と同等になったことについて謝意を述べた事実があるけれども、旧来の組合員と同等に扱われるようになったこと自体、謝意を表したとしても不自然なことではないうえ、本件消滅決議以前から組合員に対しては配当金の支給がなされていたので、そのことを考慮して謝意を述べた可能性も否定できないから、右の事実から直ちに一審原告仲山やその他の一般組合員が入会権消滅の法的意味を十分に認識していたと認めることはできない。

更に、入会財産の処分等についての取決めの有無についてみても、本件消滅決議の際、本件入会地を組合員六〇名全員の共有として、今後分筆して組合員が各土地を単独所有するようにしていくとの説明はなされたものの、分筆の方針も一般的抽象的なものにとどまっていたほか、原野部分における牛の繋留のための利用がどのようになるのか、今後の賃貸料収入や現在の預金は誰にどのように帰属させるのかといった入会財産の処分等に関する取決めが全く行われなかったものである。

以上によると、本件消滅決議は、有効に入会権消滅を決議するための前記第一、第二の要件を欠くものであり、その余の点について判断するまでもなく、これによって本件入会権が消滅しないことは明らかである。

(二) 追認について

(1) 右のとおり、本件消滅決議は、有効に入会権消滅を決議するための要件を欠くものであり、その瑕疵の大きさにかんがみると、それについて事後の追認があり得るのかどうか議論の余地があるところであり、これを否定して改めて入会権消滅の決議をする必要があるとするのが入会権の法理に沿うものと解されるが、仮に追認を肯定するとしても、それが成立するための要件としては、その後の事情を実質的に考察して、本件消滅決議の欠席者のみならず組合員全員において、本件入会権が消滅し組合員全員の共有に移行することの法的意味を認識したうえで入会権の消滅に同意し、かつ、入会財産の処分等に関する取決めがなされたと認めるに足りる事由がなければならないと解するのが相当である。

(2) 以下、右の見地に立って検討するに、まず本件消滅決議後に代表者三名による共有登記から組合員六〇名全員による共有登記に変更された事実があるけれども、もともとこのような措置は、本件入会地を公共用地として売却した場合の節税を図るために必要と考えられてきたものであるうえ、それ自体、各組合員にとって何ら不利益なことではなく、自分も登記名義人の一人になる程度の意識でも容易に応じる性質のものであり、実際にも各組合員又はその家族が印鑑を持参して真栄里公民館に出向き係員の指示により押印することによって必要書類が作成準備されたにすぎず、その前後に真栄里入会組合執行部から各組合員に対し入会権消滅の法的意味及び入会財産の処分等についての取決めなどが改めて説明され、各組合員の承認を得た形跡は全くないのであるから、六〇名による共有登記の事実をもって本件消滅決議の追認があったということはできない。

なお、本件入会地のうちの公民館敷地については、六〇名による共有登記への変更がなされていないけれども、もともと同土地はその用途からして売却できるものではなく、節税のために登記名義を変更する必要がなかったものであったから、六〇名による共有登記への変更の対象地から同土地が除外されたからといって異とするに足らず、右の変更がなされた土地について組合員らが入会権が消滅したことの法的意味を理解していたということはできない。原判決別紙物件目録四六ないし四九の各土地につき右の変更がなされなかった事情は証拠上定かでない。

(3) 次に、昭和六〇年一二月二二日の真栄里入会組合年末総会において一審被告が三原共有者組合規約承認の下に設立されたことによって本件消滅決議の追認がなされたかどうかについてみるに、右年末総会においては、委任状による者を含め五七名の出席者の賛成の下、本件入会権が消滅して本件入会地が組合員六〇名の共有になっていることを前提とし、本件入会地の共有物分割までの管理等を目的とする一審被告が設立され、その趣旨に沿う三原共有者組合規約が承認されたものであるけれども、三名の組合員(これを特定するに足りる証拠はない。)は年末総会に欠席していたものであり、その後に一審被告代表者らから右三名らに対し一審被告設立の経緯等が説明されその承認が得られた形跡もないから、三名の欠席者が本件入会権の消滅、一審被告の設立及び三原共有者組合規約の内容を承認したと認める余地はない。

また、五七名の出席者の意思内容についても、三原共有者組合規約によって共有持分権の譲渡の禁止及び五年間の分割請求の禁止が定められるなど本件入会地が分割されるまでは従前と同様な方法により管理されることとなり、現に本件入会地に対する管理もその前後を通じて何ら変化がなかったことなどに照らすと、本件入会権の消滅を前提とする一審被告の設立及び三原共有者組合規約の承認があったからといって、一般組合員らにおいて入会権消滅の法的意味を十分に認識していたと認めることは困難である。一審被告設立後まもなく、有志会から組合員資格の見直しを求める要求がなされたことは、組合員になることによって将来沖縄電力への売却金の配分にあずかれたり、本件入会地の分割を受けたりすることができることの認識が組合員外の者にもあったことを推認させるけれども、そのような利益配分から排斥された不満が中心であり、本件入会権の消滅を当然の前提とするものではないから、一般組合員らが一審被告の設立等により入会権消滅の法的意味を理解していたことを認める事実とはなり得ない。

更に、三原共有者組合規約により、右のとおり本件入会地の将来の分割の方針が定められたとはいえ、分割までの管理形態については団体的規制が行われることになり、同規則付則においても、その性質に反しない限り真栄里入会組合の権利義務を承継する旨が明記されるなど、基本的に従前の総有的財産管理がそのまま引き継がれたと考えられ、入会財産の処分等についての取決めがなされたと認めるに足りない。右承継の趣旨等からして、賃貸料収入及び預金が今後の共有物分割費用等に充てられるであろうことは予測されるけれども、そのことをもって入会財産の処分等についての取決めがなされたということはできない。

以上のことは、以前に本件入会地につき組合員六〇名全員による共有登記に変更がなされている事実をあわせて考慮したとしても変わらない。

(4) 以上によると、昭和六〇年一二月二二日の真栄里入会組合年末総会において一審被告が設立され、三原共有者組合規約が承認されたことによっても、本件消滅決議の追認があったと認めることはできない。

なお、一審原告大盛ら四名は、本件消滅決議以後、同六一年一月一六日の後に有志会とともに一審被告に対し組合員資格の見直し及び本件入会地の総有への復元などを要求するまでの間、本件消滅決議自体を認識しながら明らかに異を唱える言動は示していないが、既に述べたとおり、本件消滅決議に瑕疵があり、その追認も認められない以上、本件消滅決議、その後の共有登記手続又は一審被告の設立に参加した一審原告ら大盛四名といえども、その後において本件入会権が消滅していないと主張することは当然許されるところであり、また、一審原告大盛ら四名について、一審被告主張のように入会権者でない自分の子らに本件入会地の売却金の配分を得させるために本件入会権消滅の承認の態度を翻したことを認めるに足りる証拠はない。

(三) 以上によると、昭和六〇年三月一六日の本件消滅決議が入会権消滅決議として一応存在するとしても、その効力については、入会権者全員の実質的な同意及び入会財産の処分等についての取決めを欠いていたものであり、その後においてもこれを追認したと認めるに足りる事情がないから、これを肯定することができず無効というほかない。

そうすると、本件入会地は、依然として本件消滅決議当時の入会集団の総有に属し、その入会集団が管理するものと認めることができる。そして、一審被告は、結成当時、その組合長、副組合長、理事らの役員も入会集団である真栄里入会組合と実質的にほぼ同一であり、その組合の主体である構成員も従来の入会権者らによって成り、かつ、その管理所有する不動産も本件入会地にほかならず、本件入会地の管理、利用形態も従来と全く異なるものではなく、真栄里入会組合の有する権利義務をそのまま承継していることをあわせ考えると、同入会組合と一審被告とは、実体は同一のものであって、一審被告は、入会集団としての実体を依然として維持しているといわなければならず、したがって、少なくとも一審被告組合員であることに争いのない一審原告大盛及び同前盛次郎並びに次項認定のとおり一審被告の組合員であると認められる一審原告仲山及び同前盛泰夫は、真栄里入会組合と同一性を有する一審被告に対し、自分らが本件入会地に対し、入会集団である一審被告の構成員として共有の性質を有する入会権(持分権)を有することの確認を求めることができるものというべきである。

二一審原告仲山及び同前盛泰夫は入会組合員として選任されたか否か

〈書証番号略〉によると、昭和六〇年三月一六日の真栄里入会組合臨時総会会議録には「4 新規組合員の加入の承認と紹介の件」という議題が「8 登記名義を組合員全員の共有にする件」という議題と独立に上程され可決されたことが認められ、その新規加入につき右8の議題の可決が有効であることを条件としたことを認めるに足りる証拠はない。なるほど、前記認定の事実に照らして考えると、右の4及び8の議題は、本件入会地につき本件入会権を消滅させて民法上の共有の対象とするという一連の方針のなかで上程されたことが推認され、かつ、前記認定判断のとおり右8の議題にかかる決議は無効と断ぜざるを得ないけれども、当審証人細工利夫の証言、前記認定の事実及び弁論の全趣旨によると、右4の議題の趣旨については、従来入会権者として扱っていなかった者で入会権者として扱ってしかるべきであると思われる者を選別して右共有化に際して整理しておくことも考慮されていたことが認められるから、右提案に至った事情は右認定の妨げとはならない。

それゆえ、一審原告仲山及び同前盛泰夫は、前記真栄里入会組合臨時総会において入会組合員として選任されたものというべきである。

三亡信吉及び一審原告西原の入会権(持分権)の有無について

1  〈書証番号略〉原審証人山川ヨシ、当審証人細工忠郎、原審における一審原告西原茂夫本人並びに弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一) 亡信吉の本件入会地とのかかわり

亡信吉(明治三七年九月三〇日生)は、石垣市字崎枝の出身で、登野城小学校を卒業後、東京で薬種商の見習いなどをした後、台湾に渡り、妻ヨシと結婚し、昭和二一年、石垣に戻り、真栄里部落のヨシの兄仲山忠英方に身を寄せ、約三年間右兄の畑を借りて耕作していたが、その後、同部落を出て、八重山保健所開南出張所に長年勤務し、これを退職して同四三年五月に再び真栄里部落に帰り、ヨシの妹の夫である一審原告前盛次郎の土地を借りて家を建て、同五八年ころまで雑貨店を営み、同五九、六〇年ころ字真栄里二〇四の一〇〇に家を新築して移転した。

亡信吉は、昭和二二年から二三年まで真栄里部落会の評議員、同四六年から四八年まで真栄里公民館の老人クラブの会長、同五五年から五六年まで同副会長を務めた。そして、同二一年に真栄里部落に居住した時には、本件入会地から薪を取り、部落の豊年祭、草刈りや道路補修作業等に参加し、同四三年に再び居住するようになって以後も、豊年祭、公民館の清掃、鼠駆除作業等に参加した。亡信吉は、同五〇年一二月、公民館の承認の下、本件入会地の中の真栄里部落の共同墓地に墓を建立し、その際、公民館に対し一万円を寄付した。同五四年に真栄里入会組合により墓地管理規定が作成され、同規定によると、組合員は当然に同墓地内に一五坪以内の割当を受けることができるのに対し、組合員でない者が現在同墓地に墓を建立している場合には一基につき二万五〇〇〇円の負担金の支払をしなければならず、新たに墓の建立を希望するときは総代会の許可を得て一基につき五万円の負担金の支払をしなければならないと定められたため、亡信吉は、右規定による非組合員として既に寄付した一万円との差額一万五〇〇〇円の負担金を納めた。

昭和五二年一月に真栄里入会組合が結成された際、組合員の線引きをした同組合準備委員会では亡信吉を組合員として認めるか否かは全く問題とされることがなく、亡信吉に対しては何らの通知もなかった。その後、亡信吉は、細工敏雄らから組合員になれると聞いたが、他所から入ってきた者であるため遠慮をし、自分を組合員にするよう求めたことはなく、妻ヨシの姉妹の夫で真栄里入会組合員であった一審原告前盛次郎及び同大盛らから、組合員の資格があると助言を受けたりしたこともなかった。

亡信吉は、昭和六一年に前記中尾英俊教授らが来訪した際、その説明を聞き、公民館員で義務を果たしていれば入会組合員になれると認識して、本件訴えに及んだ。

(二) 一審原告西原の本件入会地とのかかわり

一審原告西原(昭和一三年一〇月二九日生)は、竹富町鳩間の出身で、鳩間中学校を卒業後、農業と漁業に従事していたが、昭和三三年に石垣に移り、同三五年に真栄里部落に隣接する平得部落出身の妻セツと結婚し、父茂らとともに平得部落に居住し、同三八年に真栄里部落に家を買い求めて移り住んだ。一審原告西原は、平得部落に畑を所有し、大工をするかたわら、耕作にも従事し、三ないし四頭の牛馬を飼っていたが、耕作及び牛馬の飼育は主に茂とセツが当たっていた。牛馬の飼料採取については、主に平得部落で採草し、時々本件入会地でも繋留していたが、同五一年に茂が死亡してまもなく牛馬の飼育を止めた。同四五年ころまで一定の料金さえ支払えば本件入会地での牛馬の繋留は誰にでも許されており、その後は、繋留料も必要でなくなった。

一審原告西原は、真栄里部落に居住するようになって以後、豊年祭等の部落行事に参加し、野焼き等の共同作業にも従事してきた。そして、昭和三九年に真栄里公民館が建設された際には、一審原告西原も寄付をし、建設作業にも協力した。また、その後、公民館の役職として、同四〇年伝令、同五二年特別会計、同五三年保健体育部長、同五四年産業部長、同五六年保健体育部長などを歴任したが、伝令の仕事は、部落行事の連絡と繋留料の徴収等の下働きにすぎず、その後は特別会計を担当するまで公民館の役職に就くことはなく、特別会計を担当した期間も、同五二年二月に特別会計が真栄里入会組合に引き継がれるまでのごくわずかであって、実質的な仕事は何もしなかった。一審原告西原は、真栄里部落の前記共同墓地に墓を建立したが、その後作成された墓地管理規定に従い非組合員として負担金二万五〇〇〇円を納めた。なお、同三九年に真栄里部落青年団による部落実態調査が行われた際、一審原告西原もその対象となった六三所帯に含まれていた。

昭和五二年に真栄里入会組合が結成された際、組合員の線引きをした同組合準備委員会では亡信吉と同様一審原告西原を組合員として認めるか否かについて全く問題とされることがなく、一審原告西原に対しては何らの通知もなかったが、その後、一審原告西原も、同組合設立の事実及び組合員が古くからの部落民に限定されていることを知った。妻セツの姉の夫である仲大盛永伸及び一審原告西原の姉の夫の山田晴盛は、いずれも同組合設立当時からの組合員であったが、右仲大盛らから入会組合員の資格があるといわれたりしたこともなければ、逆に自分が真栄里入会組合から排除されたことについて苦情を述べることもなかった。

一審原告西原は、昭和六一年に前記中尾英俊教授らが来訪した際、その説明を聞き、公民館員で義務を果たしていれば入会組合員になれると認識して、本件訴えに及んだ。

2 右の認定事実及び前記一1の認定事実に基づき検討するに、亡信吉及び一審原告西原が本件入会地につき入会権(持分権)を有するかどうかは、本件入会地にどのような慣習が存在し、その慣習によればどのような条件を有する者が入会権者(持分権)と認められてきたかによって決まるので、その慣習についてみることにする。

ここでいう慣習は、綿密かつ長期にわたる実態調査を要するような古い昔からの慣例ではなく、当該入会権の主体たる共同体について現に存在する慣習であることを要しかつこれをもって十分であると解すべきである。この見地からみるとき、前記認定の真栄里入会組合規約の内容及びその作成前後の経緯その他前記認定事実を総合すると、真栄里入会組合規約が作成される以前に、真栄里部落において、寄留民のみならず、他所から移住し永住の意思を持って一戸を構えた者まで、余所者ということのみで真栄里部落の構成員から除外されていたとは考えられないところであり、右のような移住者であっても、本件入会地とかかわりを持ち、入会集団である真栄里部落の構成員に課せられる義務を他の構成員と同様に果たし、同部落の他の構成員から同じ入会仲間であるとして承認された場合には、その一員として入会財産である本件入会地につき入会権(持分権)を有するとする慣習があったものと認めるのが相当である。

これに反し、〈書証番号略〉及び原審証人中尾英俊によると、昭和四七年の中尾英俊教授らによる入会調査の際に真栄里部落の一部住民らが調査に応じ、移住者の場合、永住の意思を持って一戸を構え、部落の義務を果たし、継続して三か月以上居住することによって直ちに入会権者となる旨の発言をしたことが認められるが、右に掲げる認定事実に照らして考えると、それは必ずしも正確な内容の発言であったとはいえないので、右認定の妨げとはならない。

3  そこで、右認定のような入会慣習の下、まず亡信吉が本件入会地につき入会権(持分権)を有していたか否かについてみるに、同人は、昭和二一年から約三年間真栄里部落に居住して畑を耕作し、本件入会地から薪を取り、部落の評議員を務めていたのであるから、この間は入会仲間として承認されていたと認められるとしても、その後同部落を出て約二〇年間にわたり何らの接触もなかったのであり、その地位は完全に失われたものといわなければならない。そして、真栄里部落においては、旧来の部落民でない移住者がいったん入会権者になった後、部落を出てその地位を失った場合、再び部落に帰って定住したときに、そのことのみで以前の入会権者の地位が復活するとの入会慣習があったと認めるに足りる証拠はない。

したがって、亡信吉が昭和四三年以後再び居住するようになって以後、改めて入会権者となったかどうかを検討するに、亡信吉は、その後、老人クラブの役員を務めるなど公民館活動に参加し、鼠駆除等の共同作業にも従事してきたことが認められる。しかしながら、亡信吉は、右移住後は本件入会地を利用することは全くなかったものである。そして、昭和四三年当時は、公民館員と入会集団としての部落民とがある程度重複していたことが認められるが、公民館は、真栄里に居住すれば誰でも会員になることができ、その目的も、もともとは地区住民全員の社会教育活動に寄与することにあり、本件入会地についても、公民館の管理下にあったとはいえ、公民館の財産という観念はなく、旧来からの部落有地として認識され、その賃貸料等の収益も特別会計として公民館の一般会計とは区別して取り扱われていたのであるから、公民館員となりその活動に従事してきたからといって、そのことにより当然に入会仲間として承認されていたとみることはできない。部落出身の女性と結婚して部落に定住することにより入会仲間として承認されるとの慣習も認め難く、妻の一審原告承継人山川が真栄里部落の出身であることも格別考慮するに値しない。

真栄里入会組合結成準備委員会において、組合員の線引きについて論議された際、亡信吉は全く問題とされなかったものであり、一審原告承継人山川の姉妹の夫である一審原告大盛らは、真栄里入会組合設立時の組合員から亡信吉が除外され、前掲真栄里入会組合規約三条二1(五)号により移住者でも組合員となる方途が認められていたことを認識していたと認められるにもかかわらず、亡信吉に組合員資格について助言したりしたことがないのであり、亡信吉に親しい旧来の部落民らにおいてすらも、同人を入会仲間であるとは認識していなかった疑いがある。そして、亡信吉自身も、細工敏雄らから助言を受け、しかも、一審原告大盛らにも容易に相談を持ちかけられる立場にあったにもかかわらず、長らく自分が真栄里入会組合の組合員であるとの主張をせず、逆に真栄里部落の共同墓地に墓を建立したことについて非組合員として負担金を追納したりしているのであり、自らも、入会集団の構成員にはなっていないとの認識を持っていたものと推認される。

以上を総合すると、昭和五二年一月の真栄里入会組合設立前までに、亡信吉が入会集団の構成員として入会仲間から承認されていたとは認め難く、したがって、亡信吉が本件入会地につき入会権(持分権)を取得していたとはいえない。

4  次に、一審原告西原が本件入会地につき入会権(持分権)を有していたか否かについてみるに、たしかに、同一審原告が昭和三七年ころから同五一年ころまで三ないし四頭の牛馬を飼っており、本件入会地でも繋留した事実があるけれども、耕作地は隣接の平得部落に所有し、牛馬の飼育のうえでも、本件入会地での繋留よりも平得部落での採草の方に主力が置かれ、しかも、耕作や牛馬の飼育には主に父親や妻が従事していたものであって、当時真栄里部落の部落民(入会権者)でなくとも繋留できていたことに照らすと、本件入会地での繋留の事実をさほど重視することはできない。また、亡信吉について述べたように公民館活動をしてきたからといって入会集団の構成員としての務めを果たしていたとはいえないところ、一審原告西原は、そもそも入会集団である部落と公民館とが分離する以前の公民館活動をほとんどしていない。

そして、真栄里入会組合結成準備委員会による組合員の線引きの際には、亡信吉と同様に全く問題とされることがなく、一審原告西原の親戚には組合員がいたにもかかわらず、長年にわたり、組合員資格について、同人らから助言を受けたこともなければ、同一審原告が同人らに苦情を述べたりしたこともなく、むしろ真栄里部落の共同墓地に墓を建立したことについて非組合員として負担金を追納したりしているのであり、入会集団の構成員から入会仲間として承認されておらず、自らも、そのことを認識していたと推認されるのである。

一審原告西原が昭和三九年の部落実態調査の対象に含まれていた事実も、実態調査の趣旨ないし目的、方法等が定かではなく、入会権者のみに限定してなされたものとは認め難いから、過大に評価することはできない。

以上を総合すると、一審原告西原についても、昭和五二年一月の真栄里入会組合設立前までに入会集団の構成員として入会仲間から承認されていたものと認めるのは困難であるから、同一審原告が本件入会地について入会権(持分権)を取得していたとはいえない。

四結論

以上によると、一審原告大盛ら四名の入会権(持分権)確認請求は理由があるが、一審原告承継人山川及び一審原告西原の入会権(持分権)確認請求は理由がない。

よって、これと同旨の原判決は相当であり、一審被告の控訴並びに一審原告承継人山川及び一審原告西原の控訴はいずれも理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官東孝行 裁判官坂井満 裁判官深山卓也)

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